265年つづいた江戸の栄華が終わりを告げようとしていた1861年(万延2年/文久元年)、日本橋堀江町(現小舟町)に清寿軒は創業しました。
武家地でありながらも町民が多く暮らしていた当時の人形町は、お正月の手鞠羽子板、節句の雛人形などなど‥‥‥季節ごとの市がたち、大変な賑わいであったと伝えられています。清寿軒初代店主・澤村清造が開いたこの小さな和菓子店は、そうした江戸の町民に親しまれていました。
明治・大正・昭和になっても、出産や端午の節句、七五三などのお祝いの席に重宝され、日本橋の人々の生活に密着したお店として繁盛しました。また、近隣に多くあった料亭の手土産としても人気を博しました。
現在は7代目店主の日向野(ひがの)政治さんが、祖先から受け継いだ暖簾を創業地で守っています。
「美味いものを作るために、ウチは創業時から厳選素材」と胸を張る7代目。清寿軒の一番人気「どら焼き」を例に、140年以上にわたり受継がれたこだわりの一部を話してくれました。
「砂糖は、純度が高くあっさりとした味わいの白ザラメを使い、餡(あん)用の小豆は北海道十勝産を吟味。水あめが混ざった蜂蜜ではなく、100%純粋なものを使用しています。おかげで、皮は高温で焼いているのに‘しっとり‘とした仕上がりになるのです」
さらに、厳選された素材の良さを生かすためにも「調理に時間を惜しまず、決して手を抜かない」と日向野さんは言い切ります。
江戸時代からの暖簾を守る日向野さん。手間を惜しまない仕事振りは、正に先代から引き継いだ職人気質と言えるでしょう。
一方で、「伝統に固守することなく時代の変化には柔軟に対応したい」と話します。
「例えば、戦後は砂糖が不足していたので甘い菓子が人気でしたが、最近は甘さを控えめにしています」
お客さんは何を求めているのか。どうしたらより美味しくなるか――― その研究を日々怠らないと言います。
「好みは千差万別。全てのお客様の好みに合わせるのは難しいのですが、より多くの方に美味しいと思ってもらえる菓子を作りたい」と日向野さん。
こうした努力と思いが通じ清寿軒は隠れた名店としてファンも多く、遠く北海道から買い求めに来るお客さんもいるそうです。
「駅から離れているこんなに小さな店に、遠方から来ていただくことは大変嬉しく思います、また同時に怖いことでもありますね」と日向野さんは笑います。
「当店と他店の菓子を、是非食べ比べてください」―――― 7代目の言葉が大変印象に残りました。